魔法少女のなりそこない

推しに会えないことが一番ツラい

強制出国まであと四か月

はったり【名】
1.相手を威圧するために、大げさな言動をしたり強気な態度をとったりすること。また、その言動。「はったりをかける」「はったりをきかせる」
2.なぐること。また、おどすこと。

 

私は、この二十年をハッタリで固めて生きてきた。

 

中高時代は「優等生」。周りの優秀さをせせら笑うように自分を誤魔化した。最初のうちは学力の差に焦りを感じていたものの、いつしか本当の自分が見えなくなった。馬鹿な私を殺し、ただ「優等生」に酔い痴れた。その結果、友人らは東大・早慶に進学し、私はどこにあるかも知らない大学に入学した。


入学式には喧嘩腰で参加した。私にとって、この大学は相応しくない。早くこのレッテルを破り捨てなければ。そう思った私は、入学してから一カ月も経たずに短期留学の願書を提出した。ハッタリで固めた志望動機書が、何故か通った。面接官に可哀想だとでも思われたのだろうか。蓋を開けてみたら、一年生は私だけだった。
就活において、短期留学は遊びであり、評価はされないらしい。それを知ったのは、イギリスに飛ぶ前か後か。実際、「海外生活」を体感しただけで、語学力はたいして上がらなかった。むしろ、セーターをガンガンに洗濯するとマズイということだけを学んだ。


周りには「長期留学を目指している」と言いふらした。これだけで同級生とは対等に語り合えると本気で思っていたし、観光気分の短期留学生に対してはマウンティングを取った気でいた。長期留学など、全く本気じゃなかった。ただ、大学名を霞ませるための口癖に過ぎなかった。だから、教授に長期留学の願書を急かされても「でもでもだって」を繰り返した。逃げ切れると思っていたのだ。今となっては、何をそんな必死に逃げていたのかわからないけれど。

 


たまたまその日は、講義が無い日だったのをよく覚えている。気まぐれで書いた志望動機書は、提出期限に間に合ってしまった。ちょっとした散歩がてら、その程度だった。
試験当日、同じ学部からは、二年前から留学を夢見て準備をしている先輩がいた。私は、彼が真剣に取り組んでいることを知っていた。これなら不合格でも仕様がないし、良い言い訳になるとさえ思った。会場には、10人程の学生がいて、いかにも余裕そうであった。私のような人間ばかりなのではと勘違いするほどに。
面接では、ボロクソに言われた。唯一の自慢だったGPAは一瞥されただけで終わった。「アメリカの大学院の入学許可レベルに足りてないじゃないか」とまで言われた。アホな私、そんなこと書かなきゃ良かったのに。A4用紙、ペラペラの志望動機書で纏った鎧にチェーンソーを入れられている気分だった。いっそ清々しいくらいだ。退出の際に、ネイディブの面接官ににっこり笑われたことだけが、屈辱だった。

 

常に金属バットを構え、時には縦横無尽に振り回すなどをした。

 

あの日は連勤で疲れて遅く起きた朝だった。寝ぼけながらスマホを手に取った途端、電流のようなものが脳味噌を駆け抜け、猫のように飛び起きた。ローチケの当選通知よりも、推しの事務所解雇報告よりも、凄まじかった。ぼんやりと、寝ぼけまなこにも合格の二文字はよく見えるのだと知った。そして同時に、先輩の不合格を知った。後日、先輩は別の枠で同じ大学に留学することを知った。
不思議で仕方が無かった。リスニングなんて一問もわからなかったのだ。寂しい空欄をテキトーに埋めただけなのに、ちゃんと読んだのか。問いに対する解答が高田純次みたいなことになっているぞ。それと、面接。あれだけボロクソに言っておいて、なぜ私を通したのか。じわじわと怒りが湧いてきた。最悪の寝覚めである。未だに、私を含めた家族全員、ドッキリだと思っているから、早くプラカードを持って出てきて欲しい。怒ったりなんてしないから、ただ、一発、いや二発ぐらい殴らせてくれ。

 

卑怯な私が我が身を守るために無我夢中で逃げた道は、「ウソ」の私のところへ導いた。

 

自業自得。ハッタリで生きてきた私がハッタリに殺される日が来るとは想像もしていなかった。自分で蒔いた種が収穫の時期を迎えた、ただそれだけの話だ。

 

 

いよいよ、これからのことがわからなくなってしまった。もしかしたら、志望動機書に書いた通り、アメリカの大学院に進学してしまうのかもしれない。今のところ全く行く気はないけれど。

 

とりあえず、せっかく留学に行く(らしい)のだから毎日を無駄にしない為にも忘備録としてブログをはじめることにした。留学まであと4か月。