魔法少女のなりそこない

推しに会えないことが一番ツラい

推しに可愛いと思われてから死にたい

思い返せば中学時代、更衣室の前に座り込んで、親友と小一時間に渡って死について話した記憶がある。あの頃の私は、40歳の誕生日を迎えたらすぐに死にたいと思っていた。なぜ、具体的な年齢によって生を終えたがったのかは思い出せない。だけど、中学生の私にとっては、40歳が人生のピークだと考えていた。そのピークを失って醜くなる前に死にたいと願ったのだ。それは、外見的美醜だけでなく、労働による金銭的側面の問題もあったような気がする、たぶん。それから数年後、私は自分が死ぬ予定まであと半分を切った。

 

現時点の私は、幼い私を「青いなあ」と笑う。だって、いまの私は、いつ死んでも構いやしないのだ。

 

それは毎日を懇切丁寧に生きているからではない。やり残したことが無いわけじゃない。これからやりたいことだって沢山ある。それでも私は、推しに可愛いと思われた瞬間、一切の生に対する執着から解き放たれるのだ。

 

そう思い始めたのは、20歳を過ぎてからだ。はじめは、自分の体型からだった気がする。ぶよぶよした脂肪がそこそこにある私の身体に対して、全く関心が無かった。だが、突然それは訪れた。「就活では美醜も評価対象になる」そんな噂めいた話をネット上で見つけてからだ。

現実問題として、審査対象になるかどうかはどうでもいい。ただ、自己管理のひとつの表れとして体型が判断材料になることを、はじめて痛感した。言われてみれば確かにそうだ。お菓子やジャンクフードを好んで食べている生活が、そのまま私の身体に出ているのだ。私はだらしない生活習慣です、と大声で叫び回りながら闊歩しているようなもんである。気付いてからは、一刻も早く脂肪分を脱ぎ捨てたくなった。

 

そこから半年かけて10キロ落とした。

食事変更と有酸素運動だけをコツコツとこなした。お菓子やジャンクフードとは距離を置いて、サラダと大嫌いな(ひきわり)納豆を好んで食べるようになった。あとは、一日一万歩歩くだけ。大学の最寄から3駅前で降りて、歩いた。たったそれだけで落ちたのだから、今までどれだけ「無駄な」食事をしていたのかと思うと恐ろしい。

10キロ落とすと、顎が少し尖ったようにみえる。丸顔から面長へ変わった。手足は筋トレをしなかったせいで見た目に大きな変化が無い。お腹は綺麗になったが、油断するとすぐにぽっこり出る。……余計にブスが目立ってしまった。

 

次に、「肌が汚い」と思うようになった。

顔中ニキビだらけで頬は(診断によると)脂漏性皮膚炎を患い、真っ赤。最悪の状態だった。ニキビは、出来ては治し、出来ては治し……のいたちごっこ。皮膚炎は、ステロイド剤のおかげで少し良くなったように見えるが、未だ完治には至らず。悪化と改善の繰り返し。肌によるストレスにも振り回され、悪循環から抜け出せていない。

恐ろしい薬だと思っていたサプリメントにも手を出した。ビタミンC、ビタミンBミックス、ハトムギエキス、チョコラBB……様々なメーカーの色んなものを飲み比べた。効果がいかほどかはわからないが、もはや精神安定剤として飲んでいる節がある。私は、完全におかしくなってしまった。

 

一度思いだすと止まらなくなる。髪が、爪が汚い。メイクが下手。挙句の果てには、鼻が低い、末広二重が気に入らない。

 

自宅で出来るだけのケアは極力するようになった。お金も時間も費やすようになった。こんなことを言えば、余程の美人だとでも思われるかもしれないが、世の中にはどんなにお金や時間をかけてもブスのままな人種がいるのだ。やればやるほど、自分の醜さに嫌気が差してくる。今までは「可愛くもないがブスでもない自分」がいたのに、この瞬間は「圧倒的なブス」が鏡前にいるのだ。

 

大好きな推しに会えなくなってしまった。会いたくないと思うようになってしまった。酷い体型で醜い顔で推しに握手を求めていた私が怖ろしいからだ。「これなら大丈夫」と思えた時でないと、私は推しに会えない。いくらお金を積んでいるとはいえ、推しだってブスの顔は見たくないだろう。美人と握手をして得したな、と思いたいはずだ。ああ、本当に可哀想に。今まで申し訳ないことをしてしまった。

 

だからこそ、推しに「可愛いな」と思われた瞬間、全てが何もかもどうでもよくなるのだ。たかが、推しの為だろって?生きる理由を見つけでもしないと生き辛いこの時代で、推しに可愛いと思われたいが故に生きていることに誰が文句を言えるのか。

 

ただ、この生きがいは、皮肉なことに真実を知れないことだ。「推し」は、いくらでもお世辞が言えてしまう生き物だ。「私のことを可愛いと思うか」なんて聞いた日にゃ、推しからは「可愛い」としか返ってこないのだ。恋愛シュミレーションゲームとなんら変わらない返答を求めたところでなんになる。

私は、今日も推しが可愛いと思ってくれるかはわからないまま、推しのために可愛くなることを惜しまず生きていく。